「鎖国の正体」鈴木荘一 著

 明治維新、昭和史に関して、多くの著作を上梓されてきた鈴木氏が安土桃山時代から江戸時代初期までを、「キリスト教の伝来と普及、そして禁教・弾圧の流れ」を書いたものである。その結果としての鎖国に言及されている。

 伝来してきたキリスト教に関して、詳しく、かつわかりやすく、私であれば本のタイトルを「日本にきたキリスト教の正体」の方がふさわしいと思った。
 以前に読んだ渡辺京二の「バテレンの世紀」(https://mirakudokuraku.seesaa.net/article/201909article_9.html)に似た印象を持つが、この本は日本史と世界史の融合を意識した内容になっっている。

 第1章は「アルマダ海戦と鎖国ー世界史の中の日本」として、大航海時代におけるスペインとポルトガルの植民地獲得、それと表裏一体のキリスト教布教の歴史を書く。宗教改革を経て、スペイン(旧教、カトリック)とイギリスなどの新教、プロテスタントの国との争いの象徴として、アルマダの海戦の顛末を書き、スペインの無敵艦隊を破ったイギリス軍の中に貨物補給船の船長として三浦按針が参戦していたことを象徴的に書く。

 第2章は「鉄砲伝来とザビエルの来日」として、これらが日本を世界史の中に放り込んだ事件として記述する。鉄砲においては硝石が日本での調達に不自由し、その輸入がどれだけできるかが覇権を争う上で鍵だったことを書く。
 伝来当初、キリスト教は仏教の一宗派と戦国大名によって位置づけられた。特に九州におけるキリスト教と各大名、小豪族との関わりが詳しく記されていて参考になる。大村家の当時の内情からの解説はわかりやすい。これらが後の島原の乱につながる。

 第3章「イエズス会と仏敵・織田信長」では、信長はバテレンの野望を感じつつも、来日している宣教師の人数から恐るるに足らずと認識していた。仏教に関しては、信長自身が死地に陥るほどの苦戦の原因になったり、自分の親族、重臣が一揆で殺されたりして憎しみを強める。それが比叡山の焼き討ちや一向宗の根絶やしとなる。石山本願寺の戦いの帰趨を決める荒木村重の謀反の時は、オルガンティーノが高山右近を信長の味方になるように説得している。
 宣教師ごとの事績も詳しい。ヴァリニャーノと天正遣欧使節の項では、使節の一人千々石ミゲルが海路の中で日本人奴隷がポルトガル人によって酷い目に遭わされていることを記した文章を紹介している。
 鈴木氏は信長は旧教のイエズス会とのタイアップであって、世界史的には中世の政治家と書いている。

 第4章「宣教活動の意図を見抜いた豊臣秀吉」では九州諸侯とキリスト教の関係を解き明かしていく。大友宗麟(カブラルが入信させる)、有馬晴信(ヴァリニャーノを頼む)はキリスト教を優遇して硝石や武器を調達していた。そして秀吉の九州征伐がはじまる。この時、野心家である宣教師コエリョの「日本をキリスト教国として、その日本兵を使って明の征服」という本音を秀吉は聞き出し、キリスト教に警戒感を強める。そして彼らが日本人を奴隷として連れ去ることや、領地を得て、そこで寺社仏閣を破壊していることから、大名のキリスト教入信を禁じるなどのバテレン追放令につながっていく。イエズス会のヴァリニャーノやオルガンティーノは秀吉との融和方針をとったが、スペイン系フランシスコ会は積極的な布教に務めるが、サン・フェリベ事件を機に弾圧されていく。

 第5章「開国か鎖国か 徳川家康の模索」では第1章で紹介した三浦按針(リーフデ号で漂着したウィリアム・アダムズ)とヤン・ヨーステンを顧問して新教と旧教の違いや世界情勢を学んでいく。当初は全方位貿易を志向する。千葉県沖で漂着したフィリピン総督ドン・ロドリゴは手厚く保護される。彼はキリスト教を広めておけば、今は無理でも徳川家の三代目頃にはスペイン王に臣属するようになるだろうとの野望を持っていた。この難破船救助のお礼に来たビスカイノは傲慢であった。帰国時にやはり難破して伊達政宗使節の支倉常長と一緒にメキシコに帰国する。
 この前にマカオで、有馬晴信の朱印船がポルトガルに襲われ、有馬晴信は長崎で報復する。この時、家康の代官岡本大八が晴信を騙して、多額の金銭を取る。これを仲介したのがイエズス会の宣教師モレホンで、彼の狙いは「今は鍋島藩領の有馬家旧領にドミニコ会が入っているが、有馬家の旧領を取り戻してドミニコ会を追い出す」ことだった。ともに処罰されるが、家康はキリスト教に警戒感を持つ。キリシタン大名の高山右近や内藤如安は国外追放となる。
 なお三浦按針の斡旋でイギリス商館もできた。
 大坂の陣ではキリシタン約1万人が大坂方となって参戦。宣教師も籠城する。

 第6章「徳川秀忠・家光による鎖国の完成」はイギリス商館長のコックスがイギリスもキリスト教だと言って不信感を抱かれる。その後、日本から撤退。スペイン人宣教師が密入国した平山常陳事件がおきる。その結果、オランダとポルトガルが残る。家光は弟忠長を死なしめ、加藤家を改易し、参勤交代制度をつくって盤石とする。
 この間、宣教師は商人に化けて来日していた。そこで朱印船貿易を廃止して奉書船制度として、徐々に鎖国へと統制を強めていく。島原の乱が起こる。キリシタン勢は海外からの援軍を期待していたが、オランダ軍艦から砲撃させる。乱後1年半後にポルトガル船の来航を禁じて鎖国が完成する。

 国内産業が未熟な状態の元では自由貿易でなく保護貿易が有効なのは今でも変わらない。日本も鎖国によって国内産業の育成が計られ、徳川の平和が到来したと結ぶ。

 なお、徳川の平和については、私はこの意見とは異なる考え方も持っているが、ここでは鈴木氏の著作の紹介にとどめたい。

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