「白石城死守」 山本周五郎 著

時代小説の短編集である。「与茂七の帰藩」「笠折半九郎」「白石城死守」「豪傑ばやり」「矢押の樋」「菊屋敷」が納められているが、登場人物の武士らしい心情があらわされ、いずれも心に染みてくる小説で、大したものだと思う。

「与茂七の帰藩」は、彦根藩で剛勇・乱暴な武士として藩の道場で”野牛”と称されていた斎東与茂七だが、江戸に参勤交代の供で出向いていた。その間に、藩中に養子として入籍した武士・金吾三郎兵衛が道場で頭角を現し、この武士は同様に”虎”と呼ばれている。与茂七が帰藩すると、金吾が喧嘩をふっかける。これに対して与茂七は避ける。金吾は挑発する。また避ける。これを繰り返している中で、金吾は与茂七が金吾の妻に惚れていたとの話を朋輩に聞き、それで試合を避けているのではないかと、妻を離縁して果たし合いをする。ここで、ようやく与茂七も立ち会う。結果は与茂七が勝つが、その場で試合を避けていたのは、妻に惚れていたとかの理由でなく、金吾の傲慢な姿に、昔の自分を見て、嫌になっていて避けた為と話す。

「笠折半九郎」は紀伊藩の頼宣の寵臣だったが、朋輩といさかいを起こす。果たし合いの時に城で火事が生じ、ともに駆けつけ、働く。この時の恩賞のことでまた揉める。その後に頼宣の裁定によって、わかり合うという話である。

「白石城死守」は関ヶ原の戦いの時に、家康の使いが伊達家に来て、味方をするならば、今、落としたばかりの白石城を捨てて領地に戻り、上杉軍を牽制するように言われる。このことをたまたま陰で聞いていた浜田治部介が下命を受けて、50人の家臣だけでここを守り、伊達の本軍は領地に引き上げる。何かあれば連絡すれば救援に向かうからと命令されていた。浜田は敵が来てもはかばかしく応戦はせず、また救援も要請しないながらも結果として城を守る。その間に女性(実は浜田の妻)が敵に取り囲まれている城に向かってくる中で息絶える。
戦が終わった後に、重臣から救援の連絡が無いから妻に連絡を取らせたことを聞く。浜田は家康からの密使の指示を陰で聞いていた為に、本軍にそれを守らせる為に、救援連絡をせずに捨て石になるつもりだったわけである。

「豪傑ばやり」は大坂の陣集結後に、敵方でも、そこで働いた武者を抱えようという各藩の動きがおこる。ある藩に馬の世話にうまい侍が仕えていた。その侍の大坂の陣における大将を抱えたいと藩主が希望していたが、隣藩に千石で召し抱えられた。引き抜きたい藩に、その侍は千石の禄を千五百石につり上げれば抱えられるだろうと助言する。そして、その助言通りに召し抱えることができ、その侍は豪快な気風を藩に広める。馬の世話をする中で、その屋敷の娘に慕われていたが、その娘を新たに抱えた豪傑武者が嫁にと所望する。その時に、この馬の世話だけの武士が、豪快な武者を懲らしめる。実は馬の世話だけと思われた武者が本来の大坂の陣での豪傑だと判明する。

「矢押の樋」は飢饉にあった藩が色々と策を考えている時に、濠で泳いでいる重臣の次男坊がいて批判される。この次男坊の兄も江戸で藩の金策を試みており、失敗して切腹する。藩の重臣も万策尽きたと思われた時に、この次男坊が濠の中に水脈があり、濠を毀して水路を引くことを提案する。重臣は濠を毀すなどは幕府の許可が必要でできないという。次男坊は懇意の庄屋の力を借りて、藩には黙って、石垣を毀して水路を引く。その時に濠が壊れて次男坊も巻き込まれる。折しも、止めにきた勘定奉行に対して、「石垣が壊れたから修理した。水路は前から存在していた」と幕府に申し開きをするように言って息絶える。その結果、水が潤った田に百姓は喜び、藩も助かる。

「菊屋敷」はある藩の教育者の娘が主人公であり、その妹で他家に嫁いだ者とその子ども、それに父の門下生の武士との間でドラマは展開するが、この女性の気持ちの揺れ動きを丁寧に書き、よく練られた物語である。

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