「ものづくりの歴史にみる日本の底力」 武光誠著
副題に「縄文土器からiPS細胞まで」とあるが、iPS細胞は売るために付けたのであろうが興味深い本である。
通常、歴史書は政治・文化の話が中心であるが、この本は日本におけるモノを造る技術とそれを支える科学に焦点を当てて通史を書いていて、意欲的だ。
日本の縄文時代は1万3000年も続いた。石器時代は「炙る」と「焼く」しか調理は知らないが、土器が出来てから煮たり、茹でたりすることができるようになる。そして保存用の食料も作れるようになる。ドングリなどをあく抜きできるようになり、採集生活だが定住できるようになる。定住できると老人も活躍でき、文化が伝承する。
縄文土器は世界で一番古く、その意匠も世界に冠たるものだ。当時は自然現象の全てに精霊を感じる思想で今に続く神道の源。三内丸山遺跡では500人程度の人口で約1500年くらい住んでいた。都市であり、樹皮製のきんちゃく袋、組紐、漆器などが見つかる。
紀元前1000年頃の弥生時代に本格的な稲作。紀元後300年頃まで続く。この頃、朝鮮半島から青銅器が伝わるが儀式用だけで、鉄器時代になる。当初は水稲があっても狩猟、漁労、採集のウェイトも高い。紀元前300年頃に鉄器が伝わる。木器製作の工具として使われる。朝鮮半島の南端の狗邪韓国から輸入した鉄素材を加工した。
紀元前1世紀末頃から中国江南から移住した人が北九州に小国家を作る。これが伊都国などである。後に邪馬台国が中心となる。吉野ヶ里遺跡は弥奴国と考えられ、ここの人口は2000人程度。
220年頃に大和の纏向に大和朝廷の全身の王権が生まれる(筆者はこれと邪馬台国は別との説)。ここで古墳祭祀がはじまる。水田耕作地が広がる。中国の風水や陰陽五行説が広がる。
平城京は人口10万人。各地に派遣された国司が農地開発をする。平安時代初期は良吏と呼ばれる民衆に慕われた国司が多く出た。鉄製品は普及し、農民の中で富みを蓄えるモノも出た。それが家となり、土地を守る武士になる。ただし平安時代の末までは貴族層が国政の全般を握っていた。
大規模な農地開発が続くと、武士が主役になり、鎌倉時代となる。貴族とは違うから、平易な文化も広まり、その一つが鎌倉仏教。平安仏教は呪術的な貴族の独占物だった。この当時に京都には見世棚とよばれる常設店舗も生まれる。
鎌倉時代の終わりから戦国時代にかけて朝廷の権威、幕府の権威は徐々に失墜していった。荘園領主の枠を超えた悪党と呼ばれる武士が生まれる。
農民も土一揆をおこす。室町時代のなかばから農業、商工業の発展がある。
鎌倉時代の末から戦国時代まで、九州では倭寇、ばはん船の活躍がある。宋商人主導から明人主導になる。
モンゴル帝国が生まれ、世界は大航海時代となる。
そして鉄炮伝来である。種子島に来たものが全国に広まる。鉄炮は鍛錬無しで戦力化できる。これを兵農分離で鍛え、活用したのが織田信長。
朱子学は誰もが神を宿した心を持つ、だから一人一人を大切にというもの。主君を尊敬し、主君は目下の者の個性を尊重して慈しむ。
江戸時代、都市の発展と、職人芸の発達。全国レベルでの技術の平準化。一方、都市で贅沢需要に応える。それが名工。
西洋は科学が発達し、それが合理的な技術を生む。洋学、蘭学が生まれる。シーボルトの弟子は全国に広がる。
幕末、武力で西洋には勝てないことを幕閣は認識していた。だから開国路線。みな鉄道に関心をもっていた。
洋式軍事工場は西国諸藩が本腰を入れる。
明治時代はお雇い外国人が力になる。日本の産業革命はイギリスに120年遅れるが20年で達成した。他の国の産業革命はフランス1830年代、アメリカ、ドイツが1850年代、ロシアは1880年代、日本は1890年代となる。
通常、歴史書は政治・文化の話が中心であるが、この本は日本におけるモノを造る技術とそれを支える科学に焦点を当てて通史を書いていて、意欲的だ。
日本の縄文時代は1万3000年も続いた。石器時代は「炙る」と「焼く」しか調理は知らないが、土器が出来てから煮たり、茹でたりすることができるようになる。そして保存用の食料も作れるようになる。ドングリなどをあく抜きできるようになり、採集生活だが定住できるようになる。定住できると老人も活躍でき、文化が伝承する。
縄文土器は世界で一番古く、その意匠も世界に冠たるものだ。当時は自然現象の全てに精霊を感じる思想で今に続く神道の源。三内丸山遺跡では500人程度の人口で約1500年くらい住んでいた。都市であり、樹皮製のきんちゃく袋、組紐、漆器などが見つかる。
紀元前1000年頃の弥生時代に本格的な稲作。紀元後300年頃まで続く。この頃、朝鮮半島から青銅器が伝わるが儀式用だけで、鉄器時代になる。当初は水稲があっても狩猟、漁労、採集のウェイトも高い。紀元前300年頃に鉄器が伝わる。木器製作の工具として使われる。朝鮮半島の南端の狗邪韓国から輸入した鉄素材を加工した。
紀元前1世紀末頃から中国江南から移住した人が北九州に小国家を作る。これが伊都国などである。後に邪馬台国が中心となる。吉野ヶ里遺跡は弥奴国と考えられ、ここの人口は2000人程度。
220年頃に大和の纏向に大和朝廷の全身の王権が生まれる(筆者はこれと邪馬台国は別との説)。ここで古墳祭祀がはじまる。水田耕作地が広がる。中国の風水や陰陽五行説が広がる。
平城京は人口10万人。各地に派遣された国司が農地開発をする。平安時代初期は良吏と呼ばれる民衆に慕われた国司が多く出た。鉄製品は普及し、農民の中で富みを蓄えるモノも出た。それが家となり、土地を守る武士になる。ただし平安時代の末までは貴族層が国政の全般を握っていた。
大規模な農地開発が続くと、武士が主役になり、鎌倉時代となる。貴族とは違うから、平易な文化も広まり、その一つが鎌倉仏教。平安仏教は呪術的な貴族の独占物だった。この当時に京都には見世棚とよばれる常設店舗も生まれる。
鎌倉時代の終わりから戦国時代にかけて朝廷の権威、幕府の権威は徐々に失墜していった。荘園領主の枠を超えた悪党と呼ばれる武士が生まれる。
農民も土一揆をおこす。室町時代のなかばから農業、商工業の発展がある。
鎌倉時代の末から戦国時代まで、九州では倭寇、ばはん船の活躍がある。宋商人主導から明人主導になる。
モンゴル帝国が生まれ、世界は大航海時代となる。
そして鉄炮伝来である。種子島に来たものが全国に広まる。鉄炮は鍛錬無しで戦力化できる。これを兵農分離で鍛え、活用したのが織田信長。
朱子学は誰もが神を宿した心を持つ、だから一人一人を大切にというもの。主君を尊敬し、主君は目下の者の個性を尊重して慈しむ。
江戸時代、都市の発展と、職人芸の発達。全国レベルでの技術の平準化。一方、都市で贅沢需要に応える。それが名工。
西洋は科学が発達し、それが合理的な技術を生む。洋学、蘭学が生まれる。シーボルトの弟子は全国に広がる。
幕末、武力で西洋には勝てないことを幕閣は認識していた。だから開国路線。みな鉄道に関心をもっていた。
洋式軍事工場は西国諸藩が本腰を入れる。
明治時代はお雇い外国人が力になる。日本の産業革命はイギリスに120年遅れるが20年で達成した。他の国の産業革命はフランス1830年代、アメリカ、ドイツが1850年代、ロシアは1880年代、日本は1890年代となる。
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