「もっと知りたい 藤田嗣治 生涯と作品」林洋子監修・著、内呂博之 著

藤田嗣治の画業の紹介をしている本である。この本で藤田家と葦原英了(音楽・舞台評論家)、芦原義信(建築家)、小山内薫(劇作家)、岡田三郎助(画家)、児玉源太郎(陸軍大将)などとの親戚関係を知る。父が陸軍軍医総監であり、なるほどと思う。

パリに渡り、当初はルソーの風景画のような絵を描く。またピカソ、ザッキン、スーチン、モディリアーニとも知り合い、モディリアーニの影響を受けたような絵も描く。当時のパリにはロシア、東欧出身者やユダヤ人の芸術家が多かったようだ。フジタも含めて彼らはエコール・ド・パリと呼ばれる。ここでフジタは彼らと交際しながら奇行に類することをやりながらも、その陰でたゆまぬ努力を重ね、世界で高く評価される乳白色を生み出していく。この頃にも宗教画を描いており、最晩年の宗教画につながるものがあるようだ。

フジタは愛用品(ペン、パイプ、硯、筆など)を画面に登場させており、職人の仕事を愛で、蒐集する傾向もあったようだ。乳白色の裸婦は1921年頃から見られる。裸婦の肌や敷布などの布の質感の表現、猫の描写などが特色であるが、非常に魅力的である。

この時代には琳派が画いた宗教画のような絵も画いている。乳白色の女性の裸体だけでなく、男の裸体も描き、それを群像にしたようなものも出てくる。人体のデッサンを如何に習練したかが理解できる。
日本に一時帰国し、それから中南米に出かける。そこは乳白色ではなく、もう少し野性的な色が出る。中国、沖縄の風俗も描き、原色も出てくる。日本では秋田の平野政吉の依頼で秋田の風物などの壁画を描く。鮮やかな色彩での絵であり、ここにも多くの人が描かれる。

それから俗に戦争画と言われている一群の絵も凄い。「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」などは厭戦画と言った方がいい。兵隊や戦場にいる男女の群像が戦いの場で凄惨にからみあっている絵である。
この時期に画かれた「猫(争闘)」も、猫のダイナミックな姿態がからみあって凄い絵である。

戦争後に、日本の画家仲間から戦争協力者と指弾されて、日本からアメリカ経由でパリに移る。この時、米人フランク・シューマンという人物がフジタを助け、便宜を図ったことを知る。再度のパリでは肖像画のほかにおでこが広く、眼がつり上がって子供らしくない子供が出てくる絵をよく描くようになる。

そして晩年の宗教画(ノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂ではフレスコ画を壁に画く)となる。通してフジタの画業を見ると、人物の描写が中心であると改めて思う。そしてデッサン力も凄いものだと感じる。作風もどんどん変えており、安住することなく、高みを目指した人だと思う。やはり世界のフジタである。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック